
FIREしたら暇で飽きちゃわない?

そこなんだよ。でも、飽きなかったものも実はあってさ。

へえ、なんで飽きなかったの?

向こうが勝手に変わり続けるものだけ、飽きなかったんだよね。

あ…好きかどうかじゃないんだ。
この記事でわかること
- 数年ごとに何かを始めては飽きてきた、飽きっぽい自分の告白
- 飽きなかったものに共通していたのは「情熱」じゃなく「向こうが変化し続けること」だった
- いちばん長く続いた会社の仕事は、会社が課題を供給し続けてくれたから飽きなかった
- 会社は、飽きを代わりに管理してくれる装置だったという気づき
- FIRE後は飽きの管理者が自分だけになる——飽きと二人きり、という現在地
飽きっぽいわたしが、FIREを前に怖くなった
正直に告白すると、わたし、けっこう飽きっぽいんですよ。
これまでを振り返ると、数年おきに何かを始めては、飽きてきたんです。就職して2〜3年目に「仕事だけじゃつまらない」と投資を始めて。そのあともマラソン、自転車競技、スキー。ブログも流行りだしのタイミングでやっていました。
どれも、始めるときは「これだ」と思ってるんですよ。でも、しばらくすると熱が冷める。また次を探す。その繰り返しでした。
で、FIREを考えるようになって、ふと怖くなったんです。こんな飽きっぽい人間が、会社を辞めて、あり余る時間に耐えられるのか、って。
FIRE後は暇になる、暇だと飽きる、飽きたら地獄——なんとなく、そんな不安があったんですよね。
(辞めても大丈夫なのに動けない、という話は前に書きました→「辞めても大丈夫」とわかっているのに、なぜ動けないのか)
飽きなかったものには、共通点があった
でも、ちょっと待てよ、と思ったんです。
問題は「暇」なのかな、と。時間が余ること自体が怖いんじゃなくて、飽きずに向き合える何かがあるかどうか、そっちが本当の問題なんじゃないか。
そう考えて、逆のことを調べてみたんです。わたしが飽きなかったものって、何かあったっけ、と。
……あったんですよ、意外と。趣味と呼べるくらい、長く続いてるものが。
ひとつはマンガとアニメ。子どものころからずっと好きで、いまも追ってます。もうひとつはPC自作。数年おきに「そろそろ組みたい」って欲が湧いてくる。あとはお金の勉強。これも2〜3年ごとにブームが来て、また新しいものを調べ始める。
じゃあ、これらはなんで飽きなかったんだろう、と並べて見て、気づいたことがあって。
共通点は「情熱」じゃなかったんです。
だって、マラソンだって自転車だって、始めたときの熱量はすごかった。情熱でいえば、そっちのほうが上だったかもしれない。でも飽きた。
飽きなかったほうに共通してたのは、「向こうが勝手に変化し続ける」ことだったんですよ。マンガもアニメも、新刊や新作が向こうから出てくる。PCのパーツも、数年たてば新しいのが出る。お金の世界も、制度も相場も毎年変わる。
わたしが探しに行かなくても、向こうが次を差し出してくれる。だから飽きなかった。
逆に、飽きたものは、自分から動かないと更新されないものばかりでした。マラソンも自転車も、自分が「次はこの大会」と設定しないと止まる。
つまり、わたしは「自分から探しに行って、更新し続ける」のが、とことん不得意な人間なんです。飽きずに続くのは、向こうが勝手に更新してくれるものだけ。
会社は、飽きを代わりに管理してくれる装置だった
ここまで考えて、ひとつ大きな見落としに気づいたんです。
わたしがいちばん長く続けてるもの。それ、会社の仕事なんですよ。もう25年以上、飽きずに——いや、飽きたと思う瞬間はあっても、辞めずに——続いてる。
なんでだろう、と。あんなに飽きっぽいのに。
答えは、たぶんこうです。会社が、次から次に課題を供給し続けてくれたから。
新しいプロジェクト、異動、昇進、トラブル対応。わたしが探しに行かなくても、向こうが「次はこれをやれ」と差し出してくる。それが、絶え間なく続くんです。マンガの新刊が出るのと、同じなんですよ。向こうが勝手に更新してくれる。
そう気づいたとき、ちょっとぞっとしました。
会社って、給料をくれる場所であると同時に、わたしにとっては「飽きを代わりに管理してくれる装置」だったんです。自分では飽きの外に出られないわたしの代わりに、会社がずっと、次の課題を差し出し続けてくれていた。
よく「好きなことを見つけよう」「情熱を持てるものを探そう」って言うじゃないですか。FIRE後の過ごし方の話でも、必ず出てくる。でも、わたしの実感は逆なんですよ。情熱は当てにならない。マラソンの情熱だって冷めた。頼りになるのは、情熱じゃなくて、対象が勝手に変化し続けてくれるかどうか。
そして、その「勝手に変化し続けるもの」の最大の供給源が、会社だったわけです。
辞めるって、飽きと二人きりになること
で、ここでFIREの話に戻るんですよね。
会社を辞めるって、つまり、この「飽きの管理者」を手放すってことなんです。
いままでは会社が、わたしの飽きを代わりに管理してくれてた。辞めたら、その管理者がいなくなる。飽きと、一生、二人きりになるんですよ。
マンガもPC自作もお金の勉強も、たしかに残ります。向こうが変化し続けるものだから、辞めても飽きないでしょう。
でも、それで足りるのか、というと——正直、まだ分からないんです。会社にいたころは、次の課題が向こうから、しかも次々に与えられ続けた。その量とスピードを、自分ひとりで用意し続けられるのか。そこがまだ、さっぱり見えていない。
飽きの外に出られる対象の条件は、なんとなく見えました。「向こうが勝手に変化し続けてくれるもの」。でも、それを会社の外で、自分の手で絶やさずにいられるのか。そこはまだ、答えが出ていないんです。
ひとつだけ、はっきりしたことがあるとすれば——会社を辞めるっていうのは、飽きの管理を、自分の手に引き取るってことだった。いまのわたしは、その重さにようやく気づいた、というところに立ってます。
(辞めた後に何をするか、という話はこっちにも→のどかに言われた一言で、FIRE計画が変わった)
(そもそも「辞める条件は揃ってるのに揺れる」話は、この連作の1本目に書きました→何も変わってないのに、「ここで働くのもいいな」と思ってしまう)
この記事のまとめ
- 数年ごとに始めては飽きてきた。飽きなかったものに共通してたのは「情熱」じゃなかった
- 飽きなかったのは、向こうが勝手に変化し続けるもの(マンガ・PC自作・お金の勉強)だけ
- いちばん長く続いた会社の仕事は、会社が課題を供給し続けてくれたから飽きなかった
- 会社は、飽きを代わりに管理してくれる装置だった
- 辞めるとは、飽きの管理を自分の手に引き取ること。飽きと二人きりになる、という現在地

