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使う練習、はじめてみた——気持ちに正直になるだけで、何かが変わった | Nodoka Note

使う練習、はじめてみた——気持ちに正直になるだけで、何かが変わった

暮らしとお金
のどか
のどか

最近、ちょっと変わったよね。スーパーで迷う時間が減った気がする

ゆるはる
ゆるはる

気づいてた?実はちょっと意識して変えてみたんだよね

のどか
のどか

意識して?お金の使い方を?

ゆるはる
ゆるはる

うん。でも大きな話じゃなくて。気持ちに正直になる練習、みたいな感じかな

のどか
のどか

練習……なんで練習が必要なの?

ゆるはる
ゆるはる

それがさ、わかってるのにできないんだよね。その話を今日は書いてみる


この記事でわかること

  • 資産があっても「使う」は自然にできるようにならない理由
  • 「使えない」の正体は、節約習慣・気持ちの後回し・漠然とした恐怖の複合だった
  • 仮説を立てて小さく実験してみたら、見えてきたこと
  • まだ答えは出ていない。でも輪郭が少し見えてきた

「気づいた」のに、使えなかった

以前の記事で、親の介護認定をきっかけに「元気なうちに使わなければ」と気づいたことを書いた。(以前の記事はこちら

あのとき、自分の中で何かが変わった感覚があった。老後のためだけに貯めてきた自分が、初めて「使う時間」を意識した瞬間だったと思う。

でも、気づいた翌日から使えるようになったわけじゃなかった。

スーパーに行けば、手は安いほうに伸びる。何かほしいと思っても「本当に必要か」と自問してしまう。頭では「もういいじゃないか」とわかっているのに、体がついてこない感じ。

「わかっているのに、できない」——この状態を今日は正直に書いてみようと思う。


数字の上では、「使っていい」はずだった

以前書いたように、わたしはすでにコーストFIREの状態にある。今の資産を運用し続けるだけで、老後の生活は確保できる水準だ。つまり、今稼いでいる給与は、老後のためでなく今の生活のために使っていい。

老後資金は確保済み。頭ではそう理解している。

それでも、手が止まる。


なぜ止まるのか

「使いたいのに使えない」という状態を、もう少し丁寧に見てみると、ブレーキのかかり方には一定のパターンがあることに気づいた。

「これ、本当に必要?」「もったいないかな」「もう少し安いのでもいいか」——こういう問いが、ほぼ反射的に出てくる。

意志が弱いとか、ケチとか、そういうことじゃないと思っている。20年かけて染み込んだ習慣が、今も無意識に動いているだけだ。

問題は、この習慣がいつ、どうやって「解除」されるのかを、わたしが知らないことだ。


「使えない」の正体を、解剖する

正体がわからないままでは前に進めない気がして、少し立ち止まって考えてみた。「なぜ使えないのか」について、3つの仮説を立ててみた。

仮説① 節約習慣が強すぎる

貯める習慣は、意識して作ってきた。毎月の積立額を決めて、支出を管理して、「使わないこと」を積み重ねてきた20年だった。

でもよく考えると、「使う習慣」をゼロから作ったことはない。使わないことを習慣にしてきた。だから使えないのは当然かもしれない。

ただ、これだけなら意識すれば変えられるはずだ。「今日は使ってみよう」と決めれば動けるはず。でも実際にはそうならない。だから習慣だけが原因じゃない気がした。

仮説② 気持ちをずっと後回しにしてきた

「美味しいものが食べたい」「ゆっくりリラックスしたい」「面白いマンガを読みたい」——こういう気持ちは、ちゃんとあった。

でも貯める期間が長くなるうちに、「でも今じゃなくていいか」「がまんしよう」という判断が先に出るようになっていた。気持ちを確認する前に、ブレーキが動く。

老後が確保されたあとも、この癖は残っていた。「使っていい」という状況になっても、気持ちに従う練習をしてこなかったから、やり方がわからない。

これが一番しっくりきた仮説だった。

仮説③ 漠然とした恐怖がある

資産が減ることへの、根拠のない不安がある。「足りなくなったら」という恐れが、頭の片隅に居座っている。

計算上は問題ない。わかっている。でも感情はそう動かない。

この恐怖は、仮説②と絡み合っていると思う。気持ちに従う経験が少ないから、使うことへの手応えがない。手応えがないと、減ることへの恐怖だけが残る。


仮説②を、小さく試してみた

3つの仮説を並べてみて、一番手が届きそうなのは②だと思った。

①の習慣は長い時間をかけて変えるしかない。③の恐怖は気持ちに従う経験が積み重なれば薄れるかもしれない。でも②は、小さな範囲で「気持ちに正直になる」ことを試せる。

解決策として試したわけじゃない。自分がどう反応するかを、観察してみたかった。

イワシの缶詰を、200円のものにした。

いつも買うのは100円台のものだ。スーパーの棚で200円のイワシ缶を見たとき、一瞬手が止まった。「倍か」と思った。でも「美味しいものが食べたい」という気持ちに、素直に従ってみた。

買って食べてみたら、美味しかった。それからリピートしている。

干し柿を、食べたいと思ったときに買うようにした。

干し柿が好きだ。でも例年、シーズンに1回しか買わなかった。「高いから」という理由ではなく、なんとなく「そんなに買わなくていいか」という感覚で。

今年は、食べたいと思ったタイミングで買った。「食べたい」という気持ちを、後回しにしなかった。

疲れたと思ったら、スーパー銭湯に行くようにした。

以前は「わざわざ行かなくても」と思っていた。でも「リラックスしたい」という気持ちが出たとき、それに従ってみた。行ってみたら、想像以上に気持ちよかった。疲れが取れた、というより、「ちゃんと自分を休ませた」という感覚があった。

気に入ったマンガは、買うようにした。

もともと無料で読める範囲でマンガを楽しんでいた。「面白い、続きが読みたい」と思っても、「まあ無料で読めるぶんでいいか」と止まっていた。

それを、気持ちに従って買ってみた。読み終えたあとの満足感が、無料で途中まで読んでいたときとは違った。「面白いものを最後まで楽しむ」という、シンプルな幸せだと思う。


やってみたら、何かが動いた気がした

正直に書くと、最初はそれぞれ小さなためらいがあった。

干し柿を2回目に買うとき、「もう十分じゃないか」という感覚があった。スーパー銭湯に向かいながら、「今日じゃなくてもよかったかな」と思った。

それでもやってみたら、不安は増えなかった。むしろ、何かが軽くなった感じがした。

気づいたのは、小さな幸せが積み重なるということだ。美味しいものを食べた。食べたいものを我慢しなかった。疲れたときに休んだ。面白いものを最後まで楽しんだ。それぞれはほんとうに小さいことだけど、「気持ちを後回しにしなかった」という事実が積み重なっていく感じがある。

お金への不安は「量」の問題だけじゃないのかもしれない。「気持ちに従う」という経験が薄いまま、使うことへの手応えがなかったのかもしれない、と思っている。

ただ、「使えるようになった」とは言えない。仮説②について、小さなヒントが見えただけだ。①の習慣も、③の恐怖も、まだ解消されていない。


わたしの現在地

解剖はまだ途中だ。

でも「使えない」の輪郭が、少し見えてきた気がしている。気持ちに正直になること、その積み重ねが、今のわたしにできることかもしれない。

大きな使い方はまだ決まっていない。旅行でも、大きな買い物でも、何か明確な「これに使う」という軸は、まだない。

でも、小さなことから始めてみた。ゆるく、でも確実に——それは、使うことにも当てはまるのかもしれないと、少しだけ思っている。


この記事のまとめ

  • 「使っていい」状況になっても、気持ちを後回しにする癖はすぐには抜けなかった
  • 「使えない」の正体は、節約習慣・気持ちの後回し・漠然とした恐怖の複合だと気づいた
  • 小さな実験で見えたのは、気持ちに正直になると小さな幸せが積み重なるということ
  • 解剖はまだ途中。でも輪郭は少し見えてきた

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