
昔、独立するって言ってたって本当?

うん。20代のころはね。会社は踏み台だ、なんて息巻いてた。

えー、想像つかない。なんでしなかったの?

氷河期でさ、椅子を失うのが怖くて、動けなかったんだよ。

あ…その夢、まだどこかに残ってるんだ。
この記事でわかること
- 大学卒業時「数年で独立する」「会社は踏み台」と思っていた20代の設計図
- 就職氷河期の恐怖で、仕事ではチャレンジを封印してしまったこと
- 封印した「新しいことをやりたい」欲が、趣味に漏れ出し続けていたこと
- 同じ強みが、前職と転職先で正反対に評価された話
- きれいなオフィスに見えるのは「なれたかもしれない自分」の幻、という現在地
20代のわたしは、威勢がよかった
20代のころのわたしは、けっこう威勢がよかったんですよ。
大学を出て会社に入るとき、本気でこう思ってました。「この会社は踏み台だ」「数年で独立してやる」って。ずっと同じ会社にいるなんて、考えてもいなかった。いろんなことに挑戦して、自分の力で道を切り拓いていくんだ、と。
……いま思うと、笑っちゃうくらい、若かったですね。
氷河期世代の人なら、もしかしたら分かってもらえるかもしれない。あの頃、根拠のない万能感みたいなものが、確かにあったんですよ。
で、結論から言うと、独立はしませんでした。25年以上、会社員を続けて、いまもまだ勤め人をやってます。
なんでこうなったのか。その話を、今日はしようと思います。
就職氷河期の恐怖で、仕事のチャレンジを封印した
きっかけは、というか、原因は、たぶん就職氷河期の恐怖なんです。
わたしが社会に出たのは、まさに氷河期でした。就職できただけでもラッキー、という空気。だから、いざ入ってみると、独立どころじゃなかったんですよ。
とにかく、この椅子を失うのが怖かった。
たとえば、当時から興味のある展示会やセミナーがあって、行きたかったんです。でも、行けなかった。「平日に抜けたら会社に迷惑がかかるかも」「変に目立って、クビになったら次がない」。そう考えると、足がすくんだ。
新しいことに手を挙げる、挑戦する、っていうのを、仕事の場ではすっかり封印してしまったんですよね。目立たず、堅実に、失敗しないように。それが氷河期を生き延びる処世術でした。
でも、面白いもので。封印した「新しいことをやりたい」っていう欲は、消えなかったんです。
行き場をなくして、私生活のほうに漏れ出していった。投資を始めて、マラソンをやって、自転車競技にハマって。前に別の記事で「数年ごとに何かを始めては飽きてきた」って書きましたけど、あれ、いま思えば、仕事で封じたチャレンジ欲の、はけ口だったんですよ。
(その「飽きっぽさ」の話はこちら→会社は、わたしの飽きを管理してくれていた)
そして、仕事のほうはどうなったかというと。チャレンジを封印した代わりに、わたしは「堅実な改善」で成果を出す人間になっていきました。ゼロから何かを生み出すんじゃなくて、すでにある1を、1.1に磨く。地道に良くしていく。そういう働き方です。
同じ強みが、環境で正反対に評価された
これが、前職ではうまくハマったんですよ。
1を1.1にする改善力が評価されて、課長まで昇進できた。堅実さが、ちゃんと報われる会社だったんです。氷河期に身につけた処世術が、そのまま強みになった。
ところが、です。数年前に転職して、話が変わりました。
いまの会社は、チャレンジ最優先なんですよ。新しいことに挑む、ゼロから作る、そういう働き方がいちばん評価される。逆に、わたしの得意な「1を1.1に磨く」は、評価軸のかなり下のほう。正直、下から二番目くらいの扱いなんです。
これ、けっこう堪えました。
だって、わたしは何も変わってないんですよ。同じ人間、同じ強み。なのに、環境が変わっただけで、価値がひっくり返った。前の会社では課長になれた強みが、いまの会社では二流扱い。
(同じ「強みと環境」の話は、転職の後悔としても書きました→転職活動で給与を優先してしまった理由)
そして、もっと皮肉なのが。いまの会社が高く評価する「チャレンジする人間」って、それ、20代のわたしが「なりたい」と思って、でも結局なれなかった姿、そのものなんですよ。あの頃夢見た自分が、いま目の前で、ちゃんと評価されている。わたし以外の誰かとして。
きれいなオフィスに、なれなかった自分が見える
で、ここで、前に書いた「揺れ」の話につながるんです。
きれいなオフィスを見て「ここで働くのもいいな」って揺れる、っていう話を書きました。あのとき、揺れの相手は会社じゃなくて「いいバージョンの自分の幻」だ、というところまでは分かった。でも、その幻の正体までは、うまく言えてなかったんです。
いまなら、少し分かる気がします。
あのきれいなオフィスに見えていたのは、たぶん、「もっと早くこういう場所に来ていたら、なれたかもしれない自分」なんですよ。氷河期でチャレンジを封印しなかった自分。踏み台だと思ったあの会社を、本当に踏み台にできた自分。20代に思い描いた、あの威勢のいい自分。
それが、幻みたいに、あのオフィスに立っている気がする。
だからちょっと思うんです。わたしにとってのFIREって、もしかしたら、25年遅れの独立なのかもしれない、と。あのとき怖くて踏み出せなかった一歩を、いまさら踏み出そうとしているだけなんじゃないか、って。
そう考えると、しっくりくる部分もあるし、そんなにきれいな話でもないよな、とも思う。25年遅れて手に入れる独立に、20代の万能感が戻ってくるわけでもない。
だから、たぶんわたしは、あのオフィスの前をまた通ります。そのたびに、少し揺れると思います。
揺れの底にいるのが誰なのかは、もう分かった。分かったところで、揺れが止まるわけではなかった、というのが正直なところです。
25年前に置いていかざるを得なかった自分と、これからしばらく、一緒に歩くことになりそうです。
この記事のまとめ
- 20代は「数年で独立する」「会社は踏み台」と思っていた。でも独立はしなかった
- 就職氷河期の恐怖で、仕事ではチャレンジを封印。目立たず堅実に、が処世術だった
- 封印したチャレンジ欲は、投資・マラソン・自転車競技と趣味に漏れ出していた
- 「1を1.1に磨く」強みは前職で課長まで評価されたが、転職先では下から二番目に反転した
- きれいなオフィスに見えるのは「なれたかもしれない自分」の幻。FIREは25年遅れの独立かもしれない、という現在地

