
いつFIREするか、ずっと迷ってるよね。ベストなタイミングっていつなの?

それを探すの、やめようと思っててね。たぶん「完璧なタイミング」は来ないから。

来ないの?待てばいいわけじゃなくて?

昔、家を「安くなるまで待つ」で失敗したんだよ。待ったぶん、損した。

あ…待つこと自体が、損になることもあるんだ。
この記事でわかること
- 65歳で「あのときFIREすれば」と必ず後悔するだろう、という想像
- その後悔は50歳でも今でも出てくる=どの地点でも先回りすること
- オリンピック後に下がると賭けて住宅購入を待ち、結局下がらず数百万損した実体験
- タイミングを当てにいく投機と、インデックス的に流れ・生活に賭けることの違い
- 後悔しないタイミングを探すゲームは勝てない。後悔とつきあい、今を腹九分で味わうという現在地
ときどき、65歳の自分を想像する
ときどき、65歳の自分を想像するんです。
定年の日。長い会社員生活を終えて、退職の挨拶をして、デスクを片付けて帰る。その帰り道で、私はたぶん、こう思うんですよ。「あのとき、FIREしておけばよかったな」って。
これは、ほぼ確信に近いんです。だから私は、そうならないように、50歳になったら絶対にFIREしようと思っている。65歳で後悔しないために、前倒しするんだ、と。
でも、50歳でやっても、たぶん後悔する
ところが、最近ふと気づいてしまったんです。
仮に予定どおり50歳でFIREできたとして——その瞬間に、私はまたこう思うんじゃないか。「なんで50まで待ったんだ。もっと早く動けばよかった」って。
で、これを突き詰めると、もっと嫌なことに行き着くんですよ。じゃあ今すぐFIREしたら後悔しないのか? たぶん、しないわけがない。「もっと若いうちに踏み切れたはずだ」って、きっと思う。
つまり「もっと早くやればよかった」という後悔は、どの地点に立っても、必ず過去を向いて出てくるんです。65歳でも、50歳でも、今でも。
実は私、一度この”待ち”で失敗しています
ここまで書いていて、思い出したことがあって。家を買ったときの話なんです。
結婚したばかりの頃でね。住宅を買うのって、やっぱりリスクが高く感じたんですよ。それに当時、「オリンピックが終わったら、人口減少もあって家は安くなる」っていう話があって。実際、住宅価格は少し上がっていたタイミングでもあった。だから私は、「いずれ下がる」ほうに賭けて、買うのを待ったんです。根拠は、人口減少。
でも、結果は——下がりませんでした。
結局、オリンピックが終わってから買ったんですけど、オリンピック前に買っていたほうが、価格は安かった。そのうえ、待っている間ずっと賃貸で過ごしたわけで。あの家賃をぜんぶ足したら、感覚的に数百万は損した気がします。お金だけじゃなくて、その数年ぶん、いい住環境で暮らせたはずの時間も逃しているんですよね。
今になって思うのは——将来のことなんてわからないんだから、あのときは「今の生活を良くするために買う」っていう選択をしても、よかったんじゃないか、ということなんです。
“いつ下がるか”に賭けたのが、そもそもの間違い
しかもこれ、よく考えると、株の世界でやっちゃいけないやつと同じなんですよ。
「これから上がる」「そろそろ下がる」っていう話を聞いて、そのタイミングに賭ける。これは投機です。当たるも八卦、当たらぬも八卦。一方で、インデックス投資(市場全体に幅広く投資して、長期の成長に乗る方法)は、タイミングを当てにいかない。「市場は長い目で見れば成長する」というほうに賭ける。
(タイミングを当てにいく投機で痛い目を見た話は、こちらに書きました→理論では「インデックス投資が正解」と知ってた。体で理解するまで100万かかった)
住宅も、たぶん同じだったんです。「いつ安くなるか」を当てにいくんじゃなくて、「首都圏の住宅は、人口動態を考えれば当分そう簡単には下がらない」という大きな流れのほうに乗って、あとは生活を優先して買う——そういう判断をすればよかった。私は、賭けるべきじゃないもの(タイミング)に賭けて、乗るべき流れ(生活と時間)を逃したんですよね。
後悔しないタイミングを探すゲームは、勝てない
で、これがFIREの今の自分に、そっくり重なるんですよ。
AIがどうなるか、インフレがどうなるか。先を読んで、「いいタイミングが来てから動こう」としている。でもそれ、住宅のときに「オリンピック後に下がってから買おう」とやったのと、まったく同じ構造なんです。未来を当てにいって、待っている。
理由はシンプルで、いつだって”今が一番若い”から、「あのとき動いていれば」は永遠に追いかけてくる。どの時点に立っても、振り返れば「もっと前があった」。だから「後悔しないタイミング」を探すゲームは、そもそも勝てないんです。
(”今日が一番若い”という言葉には、NISAの出遅れを取り戻すときにも背中を押されました→NISAを後から始めた話——10年スルーした出遅れの実損を計算してみた)
これ、結構しんどい結論なんですけど、同時にちょっと楽になる話でもあって。どうせどの道を選んでも後悔するなら、「後悔をゼロにする完璧なタイミング」なんて、探さなくていいってことですから。存在しないものを探して動けずにいるより、後悔は出る前提で、目の前の一回をちゃんと味わうほうがいい。
以前、鎌倉で長谷寺を諦めて、それでも「これはこれで良かった」と思えた話を書きました(→鎌倉で長谷寺を諦めた日に考えた、「年を取ってからのFIRE」のこと)。たぶんあれと同じで。全部を完璧に当てなくても、「今の生活を良くするほう」を選べるかどうか。後悔をなくすゲームじゃなくて、後悔とつきあいながら、今を腹九分で味わうゲームに切り替える。それが、今の私にできることな気がするんです。
それでも、少しずつ
最後に、ひとつだけ。
実はこの「わかってるのに動けない」という結論(→「辞めても大丈夫」とわかっているのに、なぜ動けないのか)、数ヶ月前にも、同じところにたどり着いていたんです。同じ場所をぐるぐる回っているだけなのかもしれない。
でも、不思議と、あのときよりほんの少しだけ、気持ちが進んでいる気がするんですよ。家のときの失敗を、ちゃんと思い出せたぶん、たぶん前よりは、わかっている。気持ちって、こういう小さな前進が何回か積み重なって、ある日ふっと、線を越えるんだと思うんです。
同じ場所に立っているようで、たぶん、ちょっとずつ近づいている。
——その日まで、もう少しだけ、かかりそうです。
この記事のまとめ
- 「もっと早くやればよかった」という後悔は、どの地点に立っても過去を向いて出てくる
- 理由は「いつも今が一番若い」から。だから後悔しないタイミングを探すゲームは勝てない
- 住宅で「安くなるまで待つ」に賭けて失敗。タイミングを当てにいくのは投機
- 株=プラスサム、インデックス的に「流れと生活」に賭けるべきだった
- 後悔をゼロにするゲームでなく、後悔とつきあい今を腹九分で味わうゲームへ、という現在地

