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「FIREって難しそう、自分には無理かも」——そう感じている人へ。
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ブログは、思考を整理する道具じゃなかった|書くのは発掘だった

ブログは、思考を整理する道具じゃなかった。書くのは発掘だった

書くまで、知らなかった自分がいた FIREとお金の考え方
のどか
のどか

ブログって、考えをまとめるために書くんだよね?

ゆるはる
ゆるはる

わたしもそう思ってた。でも、違ったんだよ。

のどか
のどか

違った?

ゆるはる
ゆるはる

まとめるっていうより、埋まってたものを掘り当てる感じでさ。

のどか
のどか

あ…書かないと出てこないものが、あるんだ。

この記事でわかること

  • この連作を書く前、ブログは「思考を整理する道具」だと思っていたこと
  • 書いてみたら、整理じゃなくて「発掘」だったと気づいたこと
  • 整理(もやもやを言葉にする)と発掘(もやもやすらしてなかったものを掘り当てる)の違い
  • 連作で実際に掘り当てた、自分でも知らなかった本音たち
  • 「アウトプットで思考整理」とは少し違う、わたしの実感(現在地)

整理する道具だと思っていた

この連作を書き始める前、わたしはブログのことを、こう思ってたんです。「頭の中を整理する道具」だ、と。

もやもやしてる考えを文章にすれば、すっきり整理されて、きれいに並ぶ。そういうものだと思ってました。実際、世の中でもよく言うじゃないですか。「アウトプットすると思考が整理される」って。

でも、会社への揺れや飽き、20代に置いてきた夢のことを、ブログとnoteで6本書いてきて。7本目になるこれを書いてるいま、ちょっと違ったな、と思ってるんです。

整理、じゃなかったんですよ。今日はその話をします。連作の、おまけみたいな一本です。

整理のつもりが、知らない自分が出てきた

整理って、なんだろう、と考えてみたんです。

わたしのイメージだと、整理っていうのは、もやもやしてるけどまだ言葉になってないものを、言葉にして「ああ、自分はこう思ってたのか」と分かる作業なんですよね。もやもや自体は、もうそこにある。それに形を与えるだけ。

最初は、それをやってるつもりでした。頭の中にある「FIREへの迷い」を、言葉にしていくんだ、と。

ところが、書き始めたら、様子が違ったんです。

手が、勝手に、思ってもみなかったことを書き始める。「あれ、わたし、こんなこと考えてたっけ?」っていうのが、次々に出てくる。もやもやを言葉にするどころか、もやもやすらしてなかったものが、出てくるんですよ。

これ、整理じゃないぞ、と。もっと近いのは、発掘です。あることすら知らなかったものを、掘り当てる作業。

「のどかに決断を預けてる」と書いた瞬間、ギョッとした

いちばん驚いたのは、noteのほうで「決断」の話を書いてたときでした(→生殺与奪の権を、わたしは妻に握らせている)。

「のどかがやめようと言ったら、多分わたしは辞める」——そう書いた瞬間に、自分でギョッとしたんです。あ、わたし、辞めるかどうかの決断を、のどかに預けてるんだ、って。書くまで、まったく意識してなかった。もやもやしてた覚えすらない。文字にして初めて、それが出てきたんです。

こういうのが、連作のあちこちで起きました。

20代のころ「数年で独立する」と思ってたこと(→「この会社は踏み台だ」と思っていた20代のわたしへ)。氷河期の恐怖で、それを封印してたこと。どれも、事実としては前から知ってたはずなんです。でも、「それが今の自分にどう繋がってるか」は、書くまで掘り当てられてなかった。

いちばん大きかったのは、「会社で揺れるのは、いいバージョンの自分の幻を見てるからだ」とか、「本当に降りたいのは仕事じゃなくて、期待に応え続ける生き方のほうだ」とか。ああいう結論は、書き始める前には、影も形もなかったんですよ。頭の中を探しても、どこにもなかった。書きながら、掘り当てた。

(この感覚、実は連作より前にも一度あったんです。AIに家計簿を分析させたら、自分でも気づいてなかった過去が出てきた、という話→AIに家計25年分を分析させたら、自分の物語が崩れた話。あのときも、整理じゃなくて発掘でした)

掘り当てるために、これからも書く

だから、「アウトプットすると思考が整理される」っていう、あのよく聞く言葉。わたしの実感は、ちょっと違うんですよね。

整理された、というより、掘り当てた。すっきりした、というより、知らなかった自分が出てきて、もやもやはむしろ増えた。でも、その増えたほうが、ずっと大事だった気がするんです。

考えてみれば、整理には、当たりがついてるんですよ。もやもやしてる、という自覚だけはある。あとは、そこを言葉にしていけばいい。でも発掘は、当たりがない。もやもやすらしてないものを、探しようがないですから。手を動かして、文字にして初めて、それが出てくる。

だからわたしは、これからもたぶん、書くんだと思います。頭の中をきれいに整理するためじゃなくて、まだ埋まってる、自分でも知らない何かを、掘り当てるために。

連作は、これでいちおうおしまいです。でも、掘ればまだ何か出てきそうな気がしてて。それがちょっと、こわくもあり、楽しみでもあるんですよね。

(この連作、そもそもの入口はこの記事でした→何も変わってないのに、「ここで働くのもいいな」と思ってしまう


この記事のまとめ

  • 書く前は「ブログ=思考を整理する道具」だと思っていた
  • でも書いてみたら、整理(もやもやを言葉にする)じゃなく、発掘(もやもやすらしてなかったものを掘り当てる)だった
  • 「のどかに決断を預けてる」と書いた瞬間に、自分でギョッとした——もやもやしてた覚えすらなかった
  • 「揺れの相手は自分の幻」「降りたいのは生き方そのもの」も、書き始める前は影も形もなかった
  • アウトプットで整理される、とは少し違う。掘り当てるために、これからも書くんだと思う、という現在地
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